キュービーロップを買わなくなった日

皆さん、趣味とか習慣ってありますか?昔から続けてることとか。なさそうですね。Twitterは趣味とは言いませんよ?人それぞれですけど。まあTwitterを趣味とか言っちゃう皆さんとは違って僕にはもっと高尚で文化的な趣味があるんですよ。何かと言うと、2週間に1回程度花を買うようにしてるんです。花、花屋で買ったことあります?これも無理やり作った趣味って感じなんですけど、すごくいいです。何より季節を感じられるし、花屋からの帰りに手に持って歩いてると最強になれます。店にもよると思うけど、だいたい花瓶に飾るくらいなら1回で400円くらいの安い趣味です。

 


これ、安くて花屋が近所にあるから続いてると思うんですけど、そもそも僕は物事を続ける能力が圧倒的に欠けてるんです。だからこのブログもおそらく長くは続かないと思うので、適当な時間に書いて適当な時期に辞めると思います。駄文をだらだらいつまでも書き垂らし続けて、「おい!せっかく読んだのにクソつまんないやんけ!」ってなってたらごめんなさい。謝る準備はできてるので許してください。

 


そう言えば、前回久しぶりに書いたブログを4人読んでくれてたぽいんですけど、野良の人ですかね。誰にも教えてなかったんでビックリしたのと、有料ブログにしとけば芋を4日は食えたなーと思いました。早く芋持ってきてくださいね?100円持ってないんでしょ?

 


さっき、僕は継続能力が欠けてるって謙虚な自己紹介をしてみたんですけど、高校の時、キュービーロップを買うのだけは続けてました。バイト禁止だったんで、おこづかいから買ってたんですけど、結果的に言えば皆の衆に分け与えてました。知ってます?キュービーロップ。これなんですけど。

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おそらく1度は食べたことあると思います。これ、東京だとなかなか見かけないです。このブログ読んで久しぶりに買いに行ったろ!って思ってた人はごめんなさい。まあでも探せばあるとは思います。どうしても食べたい人は芋持ってきてください。交換してあげますよ。

 


花にしろ飴にしろ、これは一人で完結する趣味です。歳をとると永遠が存在しないことに気づくじゃないですか。サンタさんがいないとか。僕は本物を見た事あるんで、いると信じてるんですけど、この話は長くなりそうなのでまたの機会に譲ります。こういう夢の裏側を覗いてしまうみたいなことは、人生至る所に存在してて、それはいずれ誰しもが気付かされることだと思います。習慣や日課もそれが一人でするのと、他人の協力を前提とするものとでは話が変わってきます。例えば、想い人と毎日連絡をとったりしてると、どちらかがたまたま忙しかったり、会話が途切れたりした時にいろいろ勘繰らないといけなくなって面倒に感じてしまいます。終わりを想像できるものをわざわざ習慣づける行為ってとても怖くないですか?こういうのは慣れていくしかないと思うんですけど、克服したいものでもないのでやっぱり口実付けし易いものを頼りに生きていくのが正解なんですかね。芋持って来いって言うのも優しさなんですよ?最後にうまく芋の話ができたので今日のお話はおしまいです。キュービーロップを買わなくなった話は完全に忘れてたのでこれも今度の機会にします。おやすみなさい。

人間みんなないものねだりだよねって話

秋ですね。皆さん秋は好きですか?僕は一年の中で秋が一番好きですね。日本に住んでると四季が巡ってくるんですよ?知ってました?僕は日本生まれ日本育ちなので四季を何度か経験してきました。これを読んでる僕のFFは海外勤務のイケイケエリートか、日本に住んでても地下労働施設にぶち込まれて四季を感じられないような生活をしている人がほとんどだと思ったので教えてあげました。偉いですよね。

 


秋が好きなんですけど、これって今が秋だからですかね。夏になると冬が恋しくなるし、冬になると夏が恋しくなりませんか?秋はそんなことないんですよ。秋って秋にならないとあんまりイメージが湧かなくて、夏とか冬って主張が強くてガンと押し付けられる感じで、勝手に始まって勝手に終わっていくじゃないですか。秋って人それぞれ定義があって地域差もあって、だから人の秋の思い出なんかを聞くのは好きです。皆さんの秋はどんな秋ですか?ハロウィンで騒ぐ渋谷のバカ共をTwitterで叩くのが楽しみな秋ですよね。知ってます。

 


え?なんでこの記事だけ敬体なのかって?気分ですよ気分。今までの記事って思想的な意味合いが強くて偉ぶって常体を使ってたんですけど、今日は敬体の気分なんですよ。秋だし。

 


久しぶりにブログを書いてるわけなんですけど、これしばらくは誰に見せるわけでもなく続けていこうと思ってるんですよ。それなのに常体敬体使い分けてて気持ち悪い?そんなこと言ったら泣いちゃいますよ?いや結構ガチで。ただ暇だから書いてるってだけだから後から読んだ人はあたたかい目で見てください。ドラえもんのあの目じゃなくて心の目的な意味での目で、です。

 


はてなブログってアクセス数が見れるじゃないですか。初めて書いた時はTwitterに共有したのもあってある程度のアクセス数があったんですけど、最近は全くですね。そもそも存在すら知られていないだろうし。もしね、アクセス数が増えたらnoteに乗り換えて有料にしちゃおっかなーなんて考えてるんですよ。オタク風情が有料ブログ書くなんて身の程を弁えろって感じですけどね、対価を払ってでも読みたいと思って貰えるってすごく幸せなことじゃないですか。ここまで読んでくれている人も時間という対価を払ってくれてるんですけどね。相当暇なんですか?まあ、有料にしてもほんと100円とかですよ。じゃないとほとんどの人が払えないでしょ?ペリカじゃダメですけどね。今日も自販機の下覗く仕事してきたんですよね。顔に泥がついてますから推理しました。お疲れ様ですよほんと。どうしてもお金を払いたくないって人は、僕の家にさつまいもか栗持ってきたら音読してあげますよ。僕が大きな声で。ベランダにバーベキューコンロあるんでそれで蒸して食べるんですよ。秋限定ですけど。それじゃあ僕は月を眺めるんでこの辺でお別れです。おやすみなさい。

人生モラトリアム

 

中学卒業以来音信不通だった友だちから年賀状が届いた。すぐに連絡してみんなで久しぶりに集まろうってなって地元の居酒屋を予約した。

 


高校を卒業してグラウンドで遊ぶ楽しみを忘れ、ビールで悲しみを流し込む夜を覚えたと言っていた。これは俺が勝手に脚色した表現だけど、まあそんな感じ。社会人というものが本質的にどういうものか知らないけど(たぶん死んだ顔して満員電車で通勤して、週末に酔いつぶれてるとTwitterで面白おかしく晒されてる人達)、そいつらはあの頃に戻りたいが口癖らしい。同じ作業を毎日繰り返し淡々と過ぎていく日々。東京で大学生やってたら多少なり似たような感情に踏み入ることが俺にもある。

 


そんな時、一体のポケモンを思い出した。誰でも持ってて草むらから飛び出てきても大抵は無視されるようなポケモンビーダル。ひでんマシンで「いあいぎり」「いわくだき」「ロッククライム」「かいりき」だけを覚えさせられたポケモンの気持ちを考えたことがあるだろうか。戦闘で出すことはまずなくても手持ちポケモンの中には常にいた存在。どれだけレベルが上がってもほかの技を覚えることもできない。ただ強制的に覚えさせられた仕事を機械的にこなすことだけを求められる、向上を期待されない存在。どれだけ多くの仕事をこなしても周りとのレベルは開いていく一方。

ほんとごめんな。


俺はそのことに気づいた大2の夏、使わなくなったDSに充電コードを繋いで、わすれオヤジのとこへ行った。最後まで共に旅をしたビーダルを解放してあげたかった。名前は「ぶたたぬき」。めちゃくちゃイカしてる。こいつがいなければ俺はチャンピオンロードにさえたどり着けなかった。こいつは立派に自分の仕事をやり遂げてくれた。チートで手に入れた色違いのレックウザにはロッククライムはできなかっただろう。ぶたたぬきにはぶたたぬきの、レックウザにはレックウザの仕事がある。俺の人生もうちょい付き合ってくれてもよかったんじゃね?

1個ちょちょいとぶっ壊してほしい岩があるんだけどなー


ポケモンリーダーになりたいなんて現実世界じゃ到底言えない。意味わからんし。

 


ぶたたぬきにいわくだきくらいは教えてもらっとけばよかったな。

アリさんごめんなさい

 

 

小学一年生の昼休み、友達3人でアリの巣に水を注いでアリを殺したことがある。その後の掃除時間に担任に呼び出されてこっぴどく叱られた。「この前の道徳の授業で何を学んだの!」みたいな。命の大切さ的なものを諭されているうちに酷いことをしてしまったことに気づいて「自分がそんなことするはずない」と思うようになった。友達の一人がそんなことやってないと言い訳を始めると、本当にやってない気がしてきて、「やってもないことでなんで怒られなくちゃならないんだ」と涙が溢れた。マジでやばいよね。三人ともやってないということで先生には許されたけどなんかすごい気に食わなかった。

 


たとえば、芸能ニュースや政治関連の記事に対して、誰かが得意気な物言いで正解"ぽい"ことをいの一番に叫んだとする。そしたらその”ぽい”発言が正解として扱われる構図が出来上がって、その後にはその意見への同調や追従した発言でちょっとずつ正解が作り上げられていく。反論や少しでも違う意見は穿った見方として捉えられ、排斥され、大きな声の中に埋もれていく。この時、当事者自身の真偽性みたいなものは全くと言っていいほど重要視されず、ぽい憶測で話が進められ、本当に知りたい真実の部分は有耶無耶にされる。だってみんな信じたいものを信じて見たくないものは見ないようにしてるから。どうせ正解なんて誰にもわかんないし、空気読めよ。もし間違ってても誰かがまた新しい正解を考えてくれるし。全員で力を合わせてこれが正解だって声をかけ合うことで、総意が個人の本心へと変わっていく。あいつが浮気したせいでかなちゃんがキレて振ったらしいよみたいな感じ。楽しいよな。すげーわかる。

 


一番に言い訳を考えついた正義のヒーローがいたおかげで俺は怒られずに済んだし、結局は本心が出来上がる前に綺麗な正解を自分の正義としてあてがったおかげで、誰も傷つかずに済んだんだよな。アリさんは死んじゃったけど、俺たちに正義があるんだからしょうがなかったよね。バカみたい。

不平等という平等

 

僕をフォローしてこの投稿をリツイートするだけで100名様に100万円を差し上げます。金配りおじさんこと前澤友作が少し前にTwitterでお金配り企画をしていた。この企画の後、間も立たないうちに、彼に対する激しい非難が始まった。「これは抽選じゃなかった!」「ほんとに配布してるのか疑問なんだけど」「期待させるならはじめからこんなことするな!」

 


期待とは常に自分以外の他者が第三者視点より勝手に膨らませるものである。そして期待に応えられないと最悪な結果が往々にして待ち構えている。期待した者は勝手に裏切られたと勘違いし、騒ぎ立て、ここぞとばかりに考えられるだけの罵声を浴びせる。その期待が大きければ大きいほどに。信じた神は悪魔だった。絶対的悪は根絶やしにしよう。我らの正義のもとに。

 


期待したら裏切られると悟ったつもりでも、小さな期待は際限なく膨らみ続け、一歩間違えると応援という名を擬した条件付きの愛へと形を変える。

正義を確信してはいけない。


神様にとって心を預けられる神様は存在してはいけないのだろうか。

光の中に立っていてね

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目覚めは悪くはなかった。

いつも通りの朝、遅刻。

寝ている間、夢は見なかった。

現実では夢だけを見ていた。

その夢も終わりを告げただの日常だけが頑として押し付けられる。

 

公式発表後のラジオでの生音声。

 

「こんばんは。平手友梨奈です。」

 

彼女の声が録音された皮肉な程に明るいジングルのあとの挨拶。

そこに欅坂46という枕詞はなかった。

 

仮に、欅坂46の最盛期を21人体制期とするならば、やはりそれは仮初の夢の時間で永遠とは程遠いものであった。

 

夢から醒めた時にはもう一度同じ夢を見ようとしてもそれは単に記憶の追体験に過ぎず、夢にはもう誰一人として出てこないのである。

 

メンバー2人の卒業、1人の脱退、そして活動休止。

今までにない絶望だった。

え?これからどうするの?

初めに認識できた感情には全て疑問符が付されていた。

 

一夜明けてもTLは苦しみや悔しさやるせない気持ちで溢れていた。

不思議と客観視している自分に気づいて己の非情さに落胆することも無く、これが現実で受け入れるしかないと勝手に自分の中で感情を整頓してまた日常に戻る。

体調を崩せば、メンバーを思って涙を流せば、学校や仕事を休めば、それが推しメンへの愛の絶対指標になるとは思わないが、時にそれは羨ましくもあった。

 

最後の最後までそうだった。

何もわからない。

わからないことだらけだ。

欅坂46は何と戦ってきたのか。

 

彼女たちのデビューは衝撃のものであった。

「これまでにないアイドル像」

「アイドルの既成概念を壊した」

壊した、でその後は?

 

乃木坂46姉妹グループとしてデビューした欅坂46は反抗的で刺激的な姿勢を殊更評価され肉付けされていった。

 

その後、周囲から期待されたものは想像に難くなかった。

 

大人に与えられた歌詞を大人に着せられた衣装で大人に決められたポジションと振り付けで楽曲を披露する。

一方で、握手会やブログ上ではファンにニコニコと笑顔で対応しバラエティでは積極的な姿勢を求められる。

これ程わかりやすい矛盾はない。

 

その歌詞は本当に彼女たちの感情を代弁するものであっただろうか。

 

受け取る側はその歌詞が歌い手の心境を表現しているかのように錯覚する。

あまつさえ期待さえして、まるでそうであるべきかのように語りさえする。

歌詞だけが一人歩きし、それに随伴する形で周囲の環境は息苦しさを増していった。

普通の高校生であってはいけない。

悩み苦しみもがき続ける姿に感動したい。

「僕」であることを全うし、血を流して削って削って残ったものとは。

 

曲を出す度に歌番組に出演する度にイメージは型に嵌められ逃げ場を奪われていった。

目に見えて質量を失っていく。

それは失速や低迷と言うよりも弱体化や疲弊と表現されるべきで皮肉なことに、弱った少女たちの振り絞った力こそが無情にも人々の心に響き渡り、そうであるが故に感銘を与えられるものであるとも思えた。

 

不確定要素、儚さが核に据えられた歪な関係性が出来上がっていく。

 

時に隠したくなるような感情さえ「欅坂46」というアイドルとしてメディアによって具現化され神格化されていく。

避雷針をひとつ用意したところで、幾千万の天を覆い尽くす落雷の雨から欅坂を守ることなんて出来ないのは自明だった。

共感されたはずの歌詞に対して、結果的に求められた姿は如何なものであっただろうか。

昔みたいに笑わなくなったね。

もっとブログやメッセージをたくさん送ってほしい。

 

私たちは歌詞のメッセージに沿ったパフォーマンスをしてるだけなのに。

 

アイドルらしさの押しつけは良くない。

欅は欅。

その結果が「欅らしさ」の押しつけになってしまったのではないか。

 

乃木坂46で6度のセンターを経験した生駒里奈は「成長過程を見せるのもアイドルの仕事」と語った。

 

ただの消費者たる我々は提供されたものを受け入れ評価することしかできない。

推して知ることは許されず脚色や濁した言葉にすら正解を持ちえない。

 

平手友梨奈が初めて「表現できない」と周りに助けを求めた2017年のツアー。「初めて」。それまでに幾度もパフォーマンスをする場面があり、センターという重圧を背負い続けた最年少の少女が、だ。

「すごい勇気がいったけど。」

なぜ?

 

メンバーが悩み落ち込む度に突き付けられる己の無力感。虚無感。

なにかしてあげたいけど握手をとることもレターを送ることも、メンバーがそれを望んでいるかという問いにさえ、遂に答えを出すことは出来なかった。

 

希望的観測だとしても仲良い姿やふと零したひとつの笑みで幸せを貰ってた。

弱音が聞きたかった。

笑わないアイドルを否定したかった。

もっと会って感謝を伝えたかった。

 

本当にわからないことだらけだった。

欅坂は苦しんでいる。

アイドルの口から何を言っても信じて貰えないと口を閉ざし、惹かれるほどに力を増して反発し、理解しようと歩み寄れば気味が悪いと心を閉ざされたような気さえした。

 

人間の手にする身体は一人につき一つであり、持ち合わせる時間軸もまた一つである。

時間の有限性と闘っていると言うよりは淡々と蝕まれていく感じに近い。

 

「いい青春が送れない可能性もある」

 

今回の発表で一番に思い浮かんだシーンが坂道合同オーディションのCMだった。

 

オタクが捧げた4年間は、メンバー自身の人生4年分を捧げた4年間に他ならなかった。

 

時として確信した正義は悪となり他人を追い詰める。

 

スペイベに、握手券に、公式アプリに課金してる。メンバーと同じものを身につけたい。

払った費用に相応の対価を求めることが間違いであるはずがないのだが、

笑顔でいて欲しい、

でも不協和音の欅も好き、

歌番組で元気な姿が見たい、

これが他ならぬ価値観の押しつけで、あるいは応援の形そのものが彼女たちを追い詰めるものだったとしたら。

断じてそうであって欲しくはないのだが。

 

卒業、脱退は痛嘆からのカタルシス足り得るのか。

 

「君らしく生きていく自由」

 

人生において選ぶ選択よりも捨てる選択の方がずっと多くて遥かに難しい。

アイドルとしての人生は明らかに後者の選択に寄っていて、文字通りアイドル人生以外の青春を全て手放す選択だ。

 

人生における幸せとは。

お金があってある程度の地位について容姿に恵まれれば幸せなのか。

それは手段であって目的ではない、と思う。

人生においての幸せは生き方の選択肢を多く持つことだと思う。選択する上で必要となるものが経済力や権力であって、それはあくまで選択肢を増やすための手段に過ぎない。

 

では、アイドルという人生に選択肢はいくつ許されているだろう。

卒業という選択は絶対的に周囲から反対される選択であり、それがアイドルである以上避けられない運命であるとしても俄には受け入れて貰えないものであろう。

 

卒業発表後のブログに将来への希望を示唆するような前向きな言葉があっただろうか。

 

残されたメンバーが苦しい思いを強いられる。これほど残酷なものはなく決してあってはならないことだと信じたい。

公式の発表とメンバー達が真実を知った時間にすら時差は存在していて、そのことに気付くのはいつだってある程度の批判が終わった後だと決まっている。

最後くらいはいっぱいの拍手でもって、余りある感謝の言葉たちで埋め尽くしてあげたかった。

 

結ぶよりも解く方が遥かに簡単であっけない。真理に目を背け続けた報いなのかもしれない。

 

止まってた時間は再び動き出し、

不平等な時間だけが平等に流れ続ける。

 

その針は明るい未来を刻む中途にあるのか。

それとも終焉へのカウントダウンなのか。

 

時はとまっていない世界にいる。